日本バプテスト教会連合は、BGCから遣わされた宣教師の働きによって生まれた教会によって結成されたもので、その信仰の特質を遺産として受け継ぎ、発展してきました。歴史は長くはありませんが、着実に成長を続けており、これからの発展が期待されています。

(1)開拓時代

1948年7月、BGCは最初の宣教師F・B・ソーリー師を日本に派遣しました。ソーリー師は、戦後の混乱から立ち上がりつつあった東京の街角で、エネルギッシュな伝道活動を始めました。続いてH・ヤンクエスト師、G・スワンソン師、D・ビョーク師、E・ノードストロム師、ファンク師、ラム師が来日され、伝道と日本語の勉強に励まれました。さらに、J・パターソン師、H・スコーグランド師、S・リンドバーグ師も来日され、東京だけでなく和歌山県や三重県において積極的な伝道が始められました。

1957年には泉田師が東京神学塾を卒業して練馬教会の牧師となり、翌年には横山師が東京中央教会の牧師に就任され、しだいに日本人牧師も加えられるようになりました。また、J・ウィルソン師、C・ワルパート師も来日され、伝道の領域は広げられてゆきました。その結果、東京には練馬、日本橋、石神井に教会が生まれ、和歌山県と三重県には和歌山、印南、御坊、白浜、大島、勝浦、紀宝町、阿田和、木ノ本、尾鷲にクリスチャンのグループが生まれました。

また、それらの教会のために、三ツ橋師、江見師、飯野師、白井師、藤原師、神田師、野中師、大串師が次々と牧会にあたられるようになりましたが、飯野師と神田師は都合により、野中師は病気のために間もなく退任されました。
1963年の教職者合同研修会の時、教会連合を正式に発足することが話題に上り、いろいろな立場からの意見がありました。しかし、話し合いの結果、連合をつくることでは一致し、その準備に乗り出すことになりました。

(2)連合の誕生

その時、設立準備委員会が設けられ、委員長に泉田師、委員に横山師と白井師が選ばれました。バプテストの信仰の特質を生かしながら他の諸団体についても調査し、連合の在り方と組織が研究されました。

そこで特に問題となったことが三つありました。第一は各地区教会の主体性と自治を基本理念とするバプテスト精神と一つの連合体をつくることとは矛盾しないかという問題で、それは教会の連合体をつくるのであって決して矛盾しないという確信に至りました。第二は健全な教会観を確立し自立教会を育てる課題で、宣教の理念と教会観についてはっきりしたコンセンサスをつくる必要がありました。特に福音の伝えられていない地方に福音を伝えることを強調する宣教団と、自立教会をまず育てるべきであると主張する日本人牧師の間で大きなギャップがあり、また当時十三あった教会のうち経済的に自立しているのはわずか二、三であり、そのための努力も大きな課題でした。第三は各教会の地域的・経済的格差とそれによる意見の相違の調整の問題で、理解の乏しさによる不安もありましたが、それぞれ達したところを基準としながら同じ目標に向かい(ピリピ3:16)、その上で協力することが確認されました。そして、連合の目的が次のように定められたのです。「この日本バプテスト教会連合は、教会完成のために教会連合を形成することが最良の方法であると信ずる各地区教会が、バプテストの信仰に基づいて協力し、福音を宣べ伝え、参加教会の発展を図って神の栄光を表すことを目的とする。」

1964年には、教憲教規草案作成委員会が設けられ、委員長に白井師、委員に藤原師とH・ヤンクエスト師が選ばれました。その委員会で、前述の諸問題を十分に考慮しながら草案が作られました。

1965年9月23日と24日の両日、和歌山市磯の浦にある青年の家において設立総会が開かれ、連合は正式に発足したのです。最初の実行委員会には選挙により実行委員長に横山師、実行委員に泉田師(総務部長)、白井師(伝道部長)、F・ソーリ師(教育部長)、H・ヤンクエスト師(財務部長)が選ばれました。新年度の方針としては、連合の内的充実、外的拡大、信仰の確立が挙げられています。そして、連合は横山委員長の下に、相互理解と協力の推進を基本としながら、その第一歩を踏み出したのでした。

(3)連合の形成

連合は相互理解のために「連合通信」を発行し、協力事業としては大阪の門真において開拓伝道を始めました。小形師がその働きに従事しすべての教会が協力しました。また、教育事業としてはセミナーを開催し、三冊のテキスト「キリスト教への招待」「バプテスマの準備」「伸びゆく教会」を発行しました。この年に数勢調査も初めて行われ、教会数14、伝道所13、牧師10名、宣教師6名、信徒数351名、献金5,378,052円でした。

1967年の総会においては枚方キリスト教会が連合に加入し、その年には東京においてビリー・グラハム国際大会が行われました。1968年には、連合の長期計画が作られ、清瀬においてスコーグランド師と坂本師によって開拓伝道が始められました。

1969年の総会における教勢報告によると、信徒数497名、献金は11,461,480円となり、順調に発展しています。特に連合をつくって協力したことが、成長発展の大きな力となっていることがわかります。また、この総会において実行委員長に泉田師、実行委員に佐竹師(総務)、江見師(伝道)、スコーグランド師(教育)、ヤンクエスト師(財務)が選ばれました。白井師は門真に転任され、御坊教会の後任に藤井師が就任され、同年秋には稲葉師が楠見(現鳴滝)教会に就任されています。

1970年にはバプテスト世界大会が東京において行われ、世界八十数ヶ国から一万人余りの人々が集まり、すばらしい交わりの時が持たれました。連合は全力を尽くして協力し、大きな貢献をしました。BGCのインドやフィリピンの教会からも代表を招き、交流が進められました。中澤師が牧会しておられる大野教会が加入したのもこの年でした。1971年には横山師と三橋師が渡米してBGCの諸教会を訪問し、泉田師は訪ソしてバプテストの諸教会で奉仕しました。東京地区では荒木師が上福岡で開拓伝道を始め、阪和地区では鈴木師が河西教会の牧師に就任されました。この年の総会で泉田師が実行委員長に再任され、横山師(総務)、三橋師(伝道)、藤原師(教育)、中澤師(財務)が実行委員に選ばれましたが、この時からは宣教団から二名の実行委員を出す方式が廃止されています。教勢は信徒数630名、献金21,141,629円で依然として順調な成長を続けています。

(4)連合の発展

1970年ごろから日本のキリスト教会は造反運動等による混乱の時代を迎えますが、聖書信仰に立って健全な教会形成に励んできた連合は比較的問題もなく成長を続けてきました。しかし、影響は皆無というわけではなく、教勢面の発展に停滞現象が現れ始めます。そのような中にあって、全教職の一致、全数会の協力、全信徒の参加を柱とした「七〇年代の宣教」計画が提示され、協力伝道が進められました。また、宣教団との協力関係をスムーズにするために「連絡委員会」が設けられました。

1972年には伊都教会に平岡師が、金剛教会に中西師が就任され、特に阪和地区が充実しました。1973年の総会では、佐竹師が実行委員長に、中澤師(総務)、江見師(伝道)、藤原師(教育)、白井師(財務)が実行委員に選ばれました。信徒数は574名、献金27,195,107円でした。また、BGC日本伝道二五周年を記念した晩餐会も持たれ、宣教師の働きに感謝の意が表されました。

1974年、中澤師はベテル神学校に留学され、後任に明田師が就任されました。東京地区は小手指において開拓を始め、小谷師とスコーグランド師が従事されました。1975年には名古屋で初めて開拓伝道が始められ、河野師とミルハウス師が従事されました。新宮教会に大窪師が就任され、連合の教職陣も充実してきました。また、ストックホルムで行われたバプテスト世界大会には、連合から30名も参加しました。この年は連合創立一〇周年であり、お茶の水学生キリスト教会館において記念大会が行われ、アメリカからD・ビョーク師が来日講演されました。総会で、実行委員長に泉田師、実行委員に荒木師(総務)、鈴木師(伝道)、藤井師(教育)、平岡師(財務)が選ばれました。教勢は、信徒数658名、献金48,784,770円でした。

1976年、中澤師は米国留学から帰国され、明田師は木ノ本教会に赴任されました。東京地区では南浦和で開拓伝道が始められ丸山師とスコーグランド師が従事されました。石井師は練馬教会の副牧師に就任されました。1977年、藤井師(御坊教会)は米国に留学され、後任に木口師が就任されました。教勢面では信徒数は721名、献金は69,431,811円でした。

(5)連合の充実

連合は、五つの地区連合において積極的に伝道活動を展開し、諸教会は着実に成長しました。さらに、連合は将来の優れた成長のために、多くの面における整備と充実化を進めてきました。
1978年には、将来の発展に備えて宗教法人化と連合センターの建築のために鋭意努力しました。6月フレスノにおいて行われたBGCの第100回総会には代表を送り、シェアリング・チームは諸教会を訪問しました。9月には、藤井師が真砂教会の牧師に就任され、11月にはK・ベンダー師が来日されました。教勢は、信徒数818名、献金83,558,825円でした。

1979年、宗教法人化と連合センター建築の準備が進められ、連合の教育と福祉の計画も充実してきました。藤原孝行師の『わかりやすい黙示録』が出版されました。総会においては、開拓教会の土地基金のために5パーセント献金が決議され、実行委員長に泉田師、実行委員に中澤師(総務)、江見師(伝道)、藤井師(教育)、大窪師(財務)が選出されました。教勢は、信徒数887名、献金は97,254,253円でした。

1980年、ビリー・グラハム国際大会が全国六ヶ所において行われ、白井師(全国総務局長)を始め連合の教会と教職は挙げて協力しました。南桜井教会(高野師)が連合に加入し、下総における開拓伝道が始められ、石井七男師が天白教会の牧師に、堀江師が新家教会の牧師に就任されました。江見師の『いのちの電話』が出版されました。10月には連合センターの建築が始まり、11月にはD・バウマン博士が来日され、各地ですばらしい奉仕をされました。教勢は、信徒964名、献金114,827,157円でした。1981年、川口師が木本教会の牧師に就任されました。連合は、さらに東京地区に一、二ヶ所、名古屋で一ヶ所、阪和地区では生駒、中紀・紀南地区では田辺においてそれぞれ開拓伝道を始めるべく、検討と準備を進めています。連合センターが完成し9月13日に献堂式を行いました。教勢は、信徒数1,018名、献金132,217,800円で、順調に成長しています。

1982年、北国師が神学校を卒業して坂戸において開拓伝道を始められました。田辺市においてG・スワンソン師が開拓の働きを始め、連合は意欲的に新しい教会づくりに励みます。この年、第二回日本伝道会議が京都において行われ、約四千名の参加者がありました。教勢は、信徒数1,091名、献金145,577,980円でした。

(6)連合の成長

連合は、連合センターも完成し、地区連合においても積極的に開拓伝道が行われ、成長への基盤づくりが行われました。決して飛躍的とは言えませんが、着実に成長を続けています。
1983年、中島師は百合ヶ丘において、大窪師が名東南において、R・ソーリ師が奈良県の生駒において、それぞれ開拓伝道を始められました。また、藤原師が下総教会牧師に就任され、小出師の牧会する宇治教会が連合に加入されました。ランクエスト博士を迎えて教職セミナーが開かれました。教勢は、信徒数1,180名、献金178,133,584円で大きく成長しています。

1984年、大野教会と橋本教会が、連合の教会の成長を象徴するように、それぞれ会堂を建築し献堂しました。衛星教会の構想も具体化し、国分寺教会は拝島において、練馬教会は光ヶ丘において、それぞれ新しい働きを始めました。荒木師はベテル神学枚に留学されました。三ッ橋師を団長に、フィリピンへ福音チームが派遣されました。泉田師はドイツ、白井師は中国の教会を訪問しました。教勢は、信徒数1,218名、献金217,156,853円でした。

1985年、泉田師はオスローで行われた聖霊の働きに関する会議に参加しました。清瀬教会は会堂を増築、東京中央教会は改築、金剛教会と南桜井教会は新築し、それぞれ喜びのうちに献堂式が行われました。連合は、W・マグニソン博士夫妻をはじめ多くのゲストを内外から迎え、創立20周年を祝いました。教勢は、信徒数1,317名、献金203,905,884円でした。

1986年、フィリピンのセブ島においてアジア・バプテスト宣教会議が開かれ、連合の教職約40名が出席しました。泉田師はインドとエチオピアを訪問し、これからの協力について協議をしました。4月には百合ケ丘教会の献堂式が感激のうちに行われました。6月には、日本福音同盟の再編成と総会が開かれ、泉田師が最初の理事長に選ばれました。第1回連合婦人大会が湯島会館において開かれ、祝福されました。教勢は、信徒数1,389名、献金は259,089,235円と立派な成長を続けています。

1987年、開拓中の坂戸、下総教会がそれぞれ自立し、百合ヶ丘、新所沢、名東南も共に自立に向かって成長しています。緑教会は鳴海チャペルのための土地・建物を購入し、下総教会のために土地を購入することができました。第2回婦人大会が大阪なにわ会館で祝福のうちに行われました。日本福音同盟は、世界福音同盟(WEF)とアジア福音同盟(EFA)に正式に加盟しました。教勢は、信徒数1,469名、献金は230,038,136円でした。

(7)連合の成熟

連合は次第に成熟して豊かな実を結び、さらにその働きを展開します。1987年には、川田師が新所沢、木田師が新宮、武田師が新家の教会の牧師に就任し、D・ヤンキ宣教師夫妻が来日されました。

1988年には、佐々木師によって取手開拓が始められ、百合ヶ丘教会は自立し、木森師が勝浦、西畑師が南部の教会の牧師・伝道師に就任され、下総教会は市川北バプテスト教会と改名し献堂式を行いました。東京キリスト教学園は千葉ニュータウンのキャンパスに移りました。教勢は信徒数1,535名、献金は272,227,049円でした。

1989年、連合には多くの教職が加わり、成長の勢いは増します。玉川における開拓伝道が福井師によって、西大寺における開拓はR・ソーリ師によって始められ、緑教会が献堂式をし、名東南教会が自立し、飯島師が拝島、山下師が生駒、山本師が枚方教会の牧師に就任されました。また、馬上・田原宣教師がフィリピンヘ宣教師として派遣されました。「2000年に100教会」のヴィジョンが与えられたのもこの年です。教勢は信徒数1,635名、献金は271,892,958円でした。

1990年、東京地区の御園ではヤンキ師によって、飯能美杉では黒沢師によってそれぞれ開拓伝道が始まり、また小野崎師が石神井教会の牧師に就任されて、女性教職が生まれ始めます。この年に連合の機構が実行委員会制から理事会制に変わりました。泉田師はバイオラ大学から名誉博士号を授与され、横山師はソ連の教会を訪問されました。教勢は、信徒数1,675名、献金323,924,158円てした。

1991年、第二回日本伝道会議が塩原において、韓・中・日数会指導者会議が韓国において開催され、連合は指導的な役割を演じます。新所沢、生駒教会が自立し、鳴滝、真砂教会がそれぞれ献堂式を行いました。第二回フィリピン福音チームを派遣し、中澤師はBGCの諸教会を訪問しました。教勢1,718名、献金は310,439,246円でした。

1992年、連合は「2000年に100教会」のヴィジョンを実現するために、積極的に開拓伝道に励みます。浜松において川口師が、北海道江別において空地師が開拓を始め、御園教会は自立してD・ボンド師を牧師に迎えます。この年の総会から伝道部が国内宣教部と世界宣教部になり、それぞれの担当理事に中西師と三ッ橋師が就任されました。白井師がバイオラ大学から名誉博士号を授与されました。教勢は、信徒数1,788名、献金は323,189,901円でした。

(8)連合の新生

連合は、成熟して実を結びながら、21世紀に向かって新しいリーダーシップのもとに生まれ変わろうとしています。

1993年、K・ミルハウス宣教師によって浜松めぐみ教会が始められ、国分寺、拝島教会がともに献堂し、桜井師が新家、真田師が木本教会の牧師に就任されました。女性教職制が確立し、小野崎師、黒沢師、空地師、白井師が正式に連合教職に承認されました。教勢は、信徒数1,877名、献金361,180,525円でした。

1994年、宣教師による積極的な開拓伝道が目立つようになり、J・メイン師は新座において、G・ゼンキ師は守谷において開拓伝道を始めます。イスリブ師は南浦和教会の牧会に就かれ、御園教会は在日フィリピン人伝道を始めます。東海地区連合が発足し、第2回海外教職セミナーが米国サンディエゴにおいてもたれました。ビリー・グラハム東京国際大会が東京ドームで開催され、泉田師は大会会長として奉仕し、師はまた社会福祉法人キングス・ガーデン東京の設立にともなって理事長に就任されました。教勢は、信徒数1,888名、献金372,286,487円でした。

1995年、連合は開拓伝道とともに世界宣教に力を注ぎ、K・ミルハウス師によってボストン日本語教会が生まれます。秩父キリスト教会(楮本師)が加入し、米内師が国分寺教会の、丸山師が緑教会の、竹井師が金剛教会の牧師・伝道師に就任されました。連合理事長に中澤啓介師が選ばれ、21世紀に向けて新しい体制が整いました。また、第1回連合青少年大会(YPC)が開かれました。教勢は、信徒数1,971名、献金373,838,039円でした。

1996年、教職福祉制度をはじめ諸制度が整備され、青年や女性の集会の充実に力が注がれます。 D・ヤンキ師によって大野教会からクロスロード教会、御園教会のフィリピン伝道からサーバンツ・オブ・クライスト教会(ラカバ師〉が生まれました。ボンド師は国際キリスト教会の開拓を始め、藤藪師が白浜教会の伝道師に就任されました。教勢は、信徒数2,000名、献金は385,439,671円でした。

1997年、開拓中の諸教会も成長し、多くの教会が土地を購入し、会堂を建てます。坂戸教会は新しい地に移り、江別教会と白浜教会は会堂を建て、新家教会は土地を購入しました。鷲巣師が清瀬教会の伝道師に就任され、荒木恵宣教師が派遣式を経て田原宣教師とともにフィリピンに出発しました。第三回海外教職セミナーとして「第二回アジア・バプテスト宣教会議」がフィリピンのセブでもたれました。また、研究を重ねてきた信徒教育マニュアルのマスタープラン「TREEシステム」が承認され、パイロット版の試用が始まりました。教勢は、信徒数2,056名、献金437,041,074円でした。

1998年、竹井師が金剛教会から派遣されて和泉中央教会の開拓伝道に、鷲巣師が三郷教会の開拓伝道にそれぞれ着手されました。また、無牧であった百合ヶ丘教会に知識師が、御園教会に緑教会から丸山師が就任されました。中澤信幸師は大野教会牧師に就任し、クロスロード教会に派遣されました。新家教会と浜松教会が土地購入に続いて、念願の会堂を建築しました。この年は宣教団の日本宣教五十周年にあたり、総会での感謝会と引退宣教師を訪ねるツアーが計画されました。

(9)連合の再形成

21世紀を迎え、連合はこれまでの伝統を継承しつつ、力強い宣教の歩みをさらに進めようとしています。

1999年、河野師が連合理事長として選出され、健康な教会形成に主眼をおいた取り組みが始まりました。清瀬教会が三郷教会において、関西地区はイスリブ師と学研都市教会において、それぞれ開拓を始めました。枚方教会は新会堂を献堂、白浜教会では藤藪師が牧師として就任しました。教勢は信徒数2,183名、献金は450,466,008円でした。

2000年、新しい時代をみすえた準備が整えられました。中澤信幸師は大野教会牧師に、金師は泉佐野国際教会牧師に就任しました。木森師は、米国ベテル神学校に短期留学しました。教勢は、信徒数2,153名、献金は419,956,884円でした。

2001年、ビジョン二〇一〇が採択され、各教会の宣教活動が活発に展開されました。橋本教会は教育館を、御園教会は会堂を献堂しました。取手教会と守谷教会は合併、東京地区連合は新座志木教会開拓に岸尾師を招聘、川上師が牧会する東金教会が連合に加入、中野師はクロスロード教会牧師に就任しました。連合通信は藤藪師が編集長となり、連合のホームページも公開されました。教勢は、信徒数2,166名、献金は460,057,403円でした。

2002年、瓜生師が勝浦教会、市野々教会牧師に就任、練馬教会は吉平師、木森師を迎えて新体制に移行するなど、新しい動きが目立ってきました。クロスロード教会は大野教会から自立し、石神井教会は新会堂を献堂し、御坊教会も新会堂を献堂し、日高恵みバプテスト・キリスト教会に改名しました。教勢は、信徒数2,174名、献金は466,434,833円でした。

2003年、各地区連合での宣教活動も活発化しました。生駒教会牧師に荒川師、学研都市教会牧師に小西池師、木本教会牧師に中橋師がそれぞれ就任し、真田師は米国デンバーで研修しました。和泉中央教会は集会所兼牧師館を開所、金野師が牧会する泉教会が連合に加入、緑教会は井森師とともに豊田教会開拓を開始しました。教勢は、信徒数2,272名、献金は430,910,838円でした。

2004年、さらにそれぞれの教会形成が展開され、三郷教会に大澤師が招聘され、東京地区連合開拓として小川師による所沢教会が開始しました。デンバー研修から帰国した真田兄が連合主事に就任しました。教勢は、信徒数2,410名、献金は408,488,009円でした。

2005年、連合は創立40周年を迎え、記念総会を開き、記念CDーROM「昂揚」を発行しました。バプテスト世界大会100周年記念大会に有志が参加しました。学研都市教会は集会所を開設、狩野師が牧会する町田金井教会が連合に加入しました。2月には、石神井教会の小野崎師が召天しました。教勢は、信徒数2,360名、献金は433,285,143円でした。

2006年、石神井バプテスト教会では、かねてより奉仕されていた荒牧素子師を教会教職として迎え、就任式を行いました。教勢は、信徒数2,377名、献金は419,690,711円でした。

2007年、ハワイで教職セミナーを開催し、意欲的な宣教に取り組みました。東海地区連合は松井師とともに豊橋教会開拓を開始し、百合ヶ丘教会は新会堂を献堂しました。自主的な宣教活動が活性化することを願い、ミッショングループ制度が提唱されました。次世代の献身者の発掘、育成のためにコーリング二〇〇七が開催されました。教勢は、信徒数2,407名、献金は429,796,402円でした。

2008年、南浦和教会牧師に横田師、百合ヶ丘教会牧師に高橋師が就任し、国分寺教会は荒井師を伝道師として、緑教会は松田師を副牧師として招聘しました。福間師はタイでの宣教活動を開始しました。枚方教会は、伝道の拠点となる新施設を献堂しました。教勢は、信徒数2,410名、献金は404,881,097円でした。

2009年、日本プロテスタント宣教150周年記念を祝いつつ、ビジョン二〇一〇の締めくくりにふさわしい取り組みが続きました。町田金井教会は新会堂を献堂し、門真教会は林師を伝道師として招聘しました。教勢は、信徒数2,413名、献金は391,900,098円でした。