私たち人間は、生まれながら罪人であり、本質的にも、自己意志の選択によっても、罪の生涯をたどる者であることを信じます。このゆえに、どのような人でも、神のみ前に自分の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じることによって神の子とされ、神のみ前に永遠に喜ぶ生活へ入れられます。また、イエス・キリストを信じない人は、その罪のゆえに神の怒りを受けて、永遠の滅亡に定められます。
人間の本質と運命は何か。それは永遠の課題であって、古来おびただしい説明が試みられてきた。私たちは、聖書に従い、特に二つのことを告白する。
第一は、人間の罪である。キリスト教の人間観は、罪を強調するあまり暗く否定的な教えであるように思われがちであるが、むしろ罪の現実を直視することによって明るい救いを提供している。第二は、人間の救いである。罪の悔い改めとキリストヘの信仰による救いが説かれ、神と共に生きる喜びが強調されている。この二つは、聖書において繰り返し説かれていることであり、多くの信仰告白において告白されてきている。
1. 人間の罪
聖書は、人間は神の本質に似せてつくられた者であり(創世記1:26-27、エペソ4:24、コロサイ3:10)、その本質はすべて善であると述べている(創世記1:31、マルコ7:19)。その意味では、キリスト教は性善説であると言うことができる。人間の本性が善であるゆえに、神のみ心を知り、神によって救われることができる。
しかし、人間は神に対して罪を犯してしまった(創世記3:1-24、ローマ1:19-3:20)。罪の本質は、真実の神を神とせず、自らを神とし、被造物を神として礼拝することである。神に対するこの転倒した関係は、やがて人間の関係にも見られるようになり、倒錯した性関係と親に対する反抗は日常生活の至る所に見られる。
私たちすべては〈生まれながら罪人であり〉(ローマ6:16-17、7:17-21)、本質的にも自己意志の選択によっても、罪の生涯を過ごす者となったのである。〈本質的に〉とは、無意識のうちに罪を犯し、それを当然のこととして生きていることである。〈自己意志の選択によって〉とは、「神を知っていながら、その神を神としてあがめず」「自分では知者であると言いながら、愚かになり」「してはならないことをするように」なった(ローマ1:21-28)と言われているように自らの意志によって罪を犯したことである。つまり、意識的にかつ自らの責任において罪を犯しているのである。このように、無意識にまた意識的に罪を犯し、罪の生活を過ごしているのである。
このように神に対して罪を犯した人間は、人間の関係においても多くの罪を犯し、不法と不道徳の中に生きるようになっている(ローマ1:19-32)。
2. 人間の救い
人間の救いには、二つの重要な要件がある。第一は、罪の悔い改めである。〈このゆえに、どのような人でも、神のみ前に自分の罪を認め〉ることである。神と人とに対して、どのように恐ろしい罪を犯しているかを知らなければならない。最大の罪は、罪を認めないことである(第一ヨハネ1:10)。次に、罪を悔い改めることである。〈悔い改め〉は、単なる反省ではなく、その生き方を根本から変えることである。ペテロは「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち帰りなさい」(使徒3:19)と勧め、「この曲がった時代から救われなさい」(使徒2:40)と諭している。第二は、キリストに対する信仰である。私たちは、〈イエス・キリストを救い主と信じることによって、神の子とされ〉るのである。救い主として信じるとは、神から遺わされた救世主、罪からの救い主として信じて受け入れることである。また、主として受け入れ従うことである。
人間の救いにおいて、新生は最も重要なことであり、〈御霊によって新しく生まれ変わ〉らなければならない。主イエス・キリストは、ニコデモに言われた。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)。
3. 人間の運命
人間には、二つの道がある。第一は、祝福への道である。罪を悔い改めてイエス・キリストを救い主として信じる者は、み霊によって新しく生まれ変わり、〈神のみ前に永遠に喜ぶ生活へ入れられます。〉それは、神との正しい関係の生活であり、神を喜び(ローマ5:11)、神に喜ばれる生活である。そこには祝福があり、その祝福は地上の生活においてすでに実現しているだけではなく、永遠の命として神の国において完成するものである。「見よ、神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」(黙示録21:3)。第二は、滅亡への道である。〈イエス・キリストを信じない人は、その罪のゆえに神の怒りを受けて、永遠の滅亡に定められます。〉人間はいま神に反逆して罪を犯し、神の怒りの下にある(ローマ1:18、エペソ2:3)。さらに、あくまで悔い改めようとしないで罪を重ね、神の怒りを積み重ねている(ローマ2:5)。従って、イエス・キリストを信じないことが致命的な罪であり、神の怒りを受けて永遠の滅亡に定められるのである。〈永遠の滅亡〉は、単なる滅亡ではなく、永遠の苦痛である。
人間は、単なる肉体的存在ではなく、地上の生涯がすべてでもない。この世を去った後すべてについて神の裁きを受ける(ローマ2:5-10)。その時、イエス・キリストによって罪を赦され、神と和解しているかどうかが最も重要である。人間には、二つの道、二つの運命があるだけである。